町域図 | |
「まちしるべ」 台東四丁目13番 御徒町公園 | |
「まちしるべ」本文
この付近一帯は、徳川三代将軍家光(1623〜1651)のころ徒士(かち)組の屋敷地であった。徒士組とは、徒歩組・歩行衆ともいわれ、徒歩で主君にお供したことにもとづく呼称である。
江戸幕府の職制では若年寄に属し、その職務は、将軍外出の際の沿道警備・江戸城中玄関廊下の警戒であった。
この地は、江戸末期に至るまで徒士組の屋敷が多かったことから、御徒町・徒町と呼ばれるようになった。明治5年(1872)、徒士組屋敷および周辺の武家屋敷などを併せ、御徒町は正式に誕生した。
文化文政(1804〜1830)のころ、この付近では朝顔作りが盛んであった。今でこそ朝顔といえば入谷であるが、この地こそ朝顔作り発祥の地である。
補 足
江戸時代、武士の住む屋敷は町人の住む「町屋」とは区別されたため正式には「町」でない訳だが、江戸末期に至るまで徒士組の屋敷が多いという特色が変わらなかったことから、いつしか里俗に御徒町・徒町と呼ばれるようになった。
明治5年、正式に下谷御徒町として起立し、一、二、三丁目にわけられた。
御徒町の朝顔は、奇品作りという形で流行し、その最盛期は文化12年(1815)頃であった。朝顔作りは、住人の下級武士によって内職として行われたといわれ、明治以後、入谷に移された。
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