山里の家ゆうの会


病人訪問グループ

← 久し振りにYさんを訪ねる。

随分長く病院生活をしていて、その間一体いくつの病院に回わされただろうか。

病院にすっかりなれてしまっている。この日はよい天気で、車いすで病院の庭に出てみた。本人も気持ちよさそうにしている。

訪問ボランティアが出来る事の一つは、これだ。ユックリと語りながら庭を歩く。

   

 

 

 
 

 

 

 

やまざとの会(病人訪問グループ)とは:

主に山谷地域に住んでいる方々で、病気やお年になり動けなくなって入院した方々を訪問するグループです。多くの方々は身寄りが無く、家族との連絡も有りません。「孤独」は人間の心と体を、一層病へと追いやります。

孤独にある人々を訪問する目的は、人と人との関わりを少しでも保つことで
◆自主退院してしまわずに、少しでも健康を回復してもらうように、
◆誰でも孤独の時に訪ねてくれればうれしいものです。
◆訪問者がいることで、病院側も安心する面があり、患者と病院側のコミニケーションを良くすることがあります。

◆身寄りがないことで、とかく病院とか施設では軽んじられる事が起こりえます。「 私はこの患者さんお知り合いです」という事で、弱い患者の立場を施設側から見直してもらう事もあります。

 

訪問する事で、訪ねる側が多くの力と勇気を受けている事を感じます。2ヶ月に一度、報告と分かち合いの例会を持ちます。結核やアルコール依存症の人も多いのです。

この会には、現在 約29名のボランティアが登録しています。山谷周辺の病院、(台東、墨田、北区)に入院しているいわゆる、山谷のおじさん約40名を定期的に訪問しています。

一人のおじさんを見舞ったら、同室に山谷のおじさんたちがいて、ボランティア一人が数人のおじさんたちを受け持って見舞うというケースもあります。また、近県の病院に転院した人たちをも、都合のつくボランティアが頻繁にとはいきませんが訪ねています。

 

     

 

 

訪問に際してのアドバイス


病気に対するイエスの考え方: 「本人が罪を犯したのでもなく、両親が罪を犯したのでもない。神の業がこの人の上に現されるためである。」 ヨハネ9章1〜3。

 

自分が体験して持っていることしか、相手に伝えられない。自分が本当に思っていることを伝えると、励ましになる。

自分の弱みを見せるとき、相手に受け入れられる場合もある。

 沈黙は大切。沈黙の後にでてくる言葉は、往々にしてその人の深い所からでる。沈黙が続くと、気まずいと思い、何かを話さなくては、ついつい取り繕って話してしまいがちで、もったいない。沈黙を恐れてはいけない。沈黙をも受け入れます。

傷つくことを避けていると変わらない。自分の挫折はしんどいけれど、チャンスでもある。

今まで持っていた人生観が何も意味がなくなる事がある。

死ぬときは、自分の価値観を返上しなければならない。そして神の価値観を受け入れるようになる。苦しみに向き合い、その前に留まる。苦しみが償いになる,と思えてくる。

年をとるプロセスは、過去を清算して自分と(そして他人と)和解すること。ますます自分になることです。

まだ、いろいろあるでしょうが、気がついたもののみです。

 

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