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今戸焼招き猫

- 創業五百年 -
 今戸焼招き猫 三千円
今戸焼の歴史
今戸焼の歴史
 
東京都台東区浅草今戸で産出する土器、天正頃(西暦一五四〇年)に下総千葉家の一族の配下の者が武蔵の浅草辺で土器や瓦を造りだしたのに始まると伝う。続いて徳川家康江戸入城に際し、三河から二人の土風炉(茶道で湯を沸かす火鉢)師と土器師を連れて来た。
松木宗四朗と松井新左衛門で、暫く市内に住んでいた。次にまた三河の土屋という火鉢師も市内で土器を造っていたが、明暦の大火後、瓦焼の今津(今の今戸)に移った。
延宝年間に至り、白井半七等が土風炉や火鉢を造るに及んで、今戸焼は暫く世に知られ同業も増えて来た。下って寛政年代には、松本三次郎や中篠市太郎などが幕府御用の土器や土風炉を造った。また楽焼の方では天明中に赤や青の色物が始まり、嘉永よりは絵付も起こったが、安政年代には瀬戸の塚本民助が来てこれも楽焼を造った。
明治に入っても白井家の土風炉や楽焼が行われ、殊に中篠家の方では、宮中御用の土器及び瓶子(神前の徳利)を調進したものである。他に今戸土人形(西鶴の”置土産”などにもその名が見えるが、隆盛を極めたのは天保頃で、当時型物と称して力士不知火を模したものや、九郎助稲荷用の狐、口入稲荷用の狐など、特殊の考案を加えたものを出していた。素朴なもので一般に愛玩された。招き猫なども多くこの地の産である。)なども、造っていた。
尚仕事の激減により三十軒近くあった業者も、昭和初期より当家ただ一軒だけになりました。
                     
                       (店主敬白)
 
創業五百年 今戸焼
                п@03-3872-5277
 
                
 
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最終更新日:2010.5.3